天秀尼

東慶寺20世 豊臣秀頼公息女

元和元年(1615)大坂落城後、千姫の養女となり、家康の命により7歳で当寺に入れられた。
入寺に際し、家康からなにか願いはないかと聞かれ、「旧例の寺法断絶なきよう」と願ったと寺例書にある。
後に、東慶寺20世となり、法名を天秀法泰尼とする。

会津四十万石改易事件は東慶寺の特権が非常に強く認められるようになったことを裏付ける歴史的事件であり、天秀尼は一身をかえりみず、女人擁護の寺法を守ってその権利を主張した。一女人の身で寺法を守り、堀主水の妻の身を助けた天秀尼は、昭和五十五年「神奈川県百傑」に選ばれた。
天秀尼住持以降、千姫を通して徳川家との特別な関係から、松ヶ岡御所の格式は一段と高くなった。

〈 用堂尼 釈 宗演 〉