桃山時代から江戸時代初期を代表するものとして、東慶寺所蔵の一群の蒔絵があげられます。六十点余の蒔絵は、豊臣秀頼の娘で東慶寺二十世であった天秀尼愛用のものを中心にした、歴代尼僧所伝のものであるとみられています。このように多くの蒔絵が散逸をまぬがれたのは、尼寺ゆえ男子禁制でみだりに一般の人が出入りしなかったことや、北条氏直の印判状に見られるように道具類の管理が非常に厳しかったからです。しかし、大正十二年の関東大震災によって、これらの調度品を収めていた土蔵が倒潰したため、多くの品が損傷し、何点かは失われました。