寺院としての本質 ‐ 拝観料廃止について ‐
2020年07月01日

2020年4月、コロナが猛威を奮い、日本全体が緊急事態宣言下になりました。その期間、東慶寺は閉門し、拝観謝絶の対応をとりました。

宣言下のある日、市内を車で移動中、ある教会の扉がいつも通り開いており、お祈りを捧げるために人が中に入っていくのを見かけました。

拝観謝絶の判断をした自分が僧侶として、宗教者として、本当に正しかったのか。寺院のあるべき姿とは何なのか。それを考え、胸が痛みました。

 

先行きの見えない世の中、情報過多で変化の激しい社会にいると、ストレスを抱え、どうしても不安な気持ちになるものです。

また、様々な変化やストレスに対しうまく適応するためには、何かに依存するのではなく、一人ひとりが日常的に心を正しく調えておく必要があります。そして、宗教にはその「心を正しく調える」ための智慧、工夫が沢山存在します。

こんな時代だからこそ、生きとし生けるものにとって、宗教ならびに宗教施設が「心のよりどころ」「心を正しく調える場所」であるべきだと考えるようになりました。

さらには、お寺は観光名所ではなく、仏様を信仰し、参拝し、祈りを捧げる「神聖な空間」という原点を守る必要があるのです。

拝観料を廃止したのはそういった経緯、理由があります。

お寺を必要としてくださる方々のために境内を解放しておりますので、訪れる皆様も「お寺とはどういう場所なのか」を考えたうえで、お参りいただければ幸甚に存じます。

東慶寺住職
井上大光