境内において、「大地の再生」に取り組み始め、丸3年が経ちました。
それ以前の東慶寺を知っている方からは、
「昔の方が手入れが行き届いていて綺麗だった」
「うっそうとしている」
「枯葉や草が残っていて、みっともない」
「掃除をさぼっている」
という厳しい言葉をかけられます。
この3年間で、そう感じられた方は是非、最後までお読みください。
戦前の東慶寺の境内には、最低限の建物とお墓が少し、あとは畑と雑木林でした。
戦後の高度成長に伴い、新しい建物を増やすために山を削り、墓地を拡張するために林を整備し、
境内は石とコンクリートで歩きやすいように舗装され、戦後凡そ60年かけ、ほぼ今の境内の姿になりました。
コロナ流行以前の東慶寺は、1日に3〜5人で境内の掃除と手入れをしていました。
早朝の掃き掃除から始まり、草取りも年中していました。
それでも追いつかない時はシルバーさんにも手伝ってもらい、
節目には、植木屋さんも入り、樹木の剪定も欠かさず続けてまいりました。
見た目にはよく手入れされ、綺麗な境内だったかもしれません。
しかし、台風のたびに、土砂崩れ、崖崩れ、倒木が起き、境内の樹木も枯れるものが目立つようになりました。
時間も手間も、お金もかけて手入れしているのに、なぜ境内の環境は悪くなるのか。
その答えを教えてくれたのが矢野智徳さんでした。
コンクリートやアスファルトで地表は覆われ、地中の水脈も分断されてしまった。
人間本位の発展の代償は大きく、自然本来の環境を破壊し、大地全体が呼吸不全を起こしている。
水はけが悪く、呼吸ができないと土は硬く引き締まり、そこに生える草木は、なんとか生きようと太く硬い根ばかりが増える。
その結果、地上の姿は乱暴で荒々しいものになる・・
勢いがある、大きく育っているというふうにポジティブに捉えていた植物の姿は、大地の環境の悪さ、地中の苦しさの表れだったのです。
矢野さんの作業は、これまで出会ってきた植木屋さんとは考え方も何もかも全く違います。
草苅りも剪定も、全ては自然の風が吹き抜けるように。
草も枯葉も利用しながら、ゴミを一切出さない。砕き割ったコンクリートさえも有効活用する。
環境再生医として、全国各地で「大地の再生」という活動に取り組んでいる彼の考えを聞き、技術を見て、境内の環境改善を託し、この3年間、共に取り組んできました。
風物詩だと思っていた梅の徒長枝はあまり伸びなくなり、紫陽花は花も葉も小さく穏やかに、品を取り戻しました。
スコップでも歯が立たなかった固い土は、移植ゴテでもサクサク掘れるようになりました。
しかし、何十年もの間、破壊し続けてきた自然環境が、魔法のように簡単に改善されるわけがありません。
淘汰という言葉通り、生きる力を取り戻した草木もあれば、適応できず、枯れるものもいます。
作業のスピードを越え、草も生え、枯葉もたまり、木々は茂っていきます。
一生懸命作業しても、成果がうまく表れない時の方が多いです。
なぜ上手くいかないのか、誰も教えてくれません。
そして、何より、
特殊な作業がゆえに、費用がとてもかかります。
環境改善という本質と、
お寺の境内としての美しさの維持、
この二つをどう両立させていくのか。
我々が悩み、迷った時、矢野さんはこう仰います。
「続けるしかない。」
「悩みながら、もがきながらでいい。とにかく手を動かせ。」
この言葉を頼りに、今でも試行錯誤を繰り返して、精一杯、作業を続けています。
見た目だけの話をすれば、かつての境内の方が落ち葉も草も少なく、綺麗でした。
しかし、汚く、荒れたように見える今の境内でも、
「陰湿な感じがなくなった」
「心地が良くなった」
「風が気持ち良い」
「雰囲気が穏やかになった」
「呼吸がしやすい」
そのように感じ取ってくださる方々も増えてきました。
矢野さんはこうも仰います。
「もっと公共性をアピールしていかなくてはならない。
この活動は東慶寺だけのためにやっているものではない。
近隣のため、鎌倉のため、ひいては地球のためにやっている取り組みです。」
「この地球上で生きている全員が当事者なのです。」
我々は「100年先の第一歩」と思って、取り組んでおります。
次世代のため、後を託す人たちのため、
本当の意味で豊かで、慈愛に満ちた境内環境を目指しております。
まだまだ発展途上の取り組みですので、ご支援ならびに、温かい気持ちで見守っていただきたく、心よりお願い申し上げます。
東慶寺住職
井上 陽司
合掌